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日语版论语泰伯第八 Confucian Analects Les Entretiens de Confucius Confucius' Analects in Latin
子罕第九
一 子、罕(まれ)に利を言う、命(めい)と仁と。
二 達巷党(たつこうとう)の人曰わく、大なるかな孔子、博く学びて名を成す所なし。子これを聞き、門弟子(もんていし)に謂いて曰わく、吾れは何を執(と)らん。御(ぎょ)を執らんか、射(しゃ)を執らんか。吾れは御を執らん。
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三 子の曰わく、麻冕(まべん)は礼なり。今や純(いと)なるは倹なり。吾れは衆に従わん。下(しも)に拝するは礼なり。今上(かみ)に拝するは泰なり。衆に違うと雖も、吾れは下に従わん。
四 子、四を絶つ。意なく、必なく、固なく、我なし。
五 子、匡(きょう)に畏(おそ)る。曰わく、文王既に没したれども、文*(ここ)に在らずや。天の将に斯の文を喪(ほろ)ぼさんとするや、後死(こうし)の者、斯の文に与(あず)かることを得ざるなり。天の未(いま)だ斯の文を喪ぼさざるや、匡人(きょうひと)其れ予(わ)れを如何(いかん)。
六 太宰(たいさい)、子貢に問いて曰わく、夫子は聖者か。何ぞ其れ多能なる。子貢が曰わく、固(もと)より天縦(てんしょう)の将聖(しょうせい)にして、又た多能なり。子これを聞きて曰わく、太宰、我れを知れる者か。吾れ少(わかく)して賎(いや)し。故に鄙事(ひじ)に多能なり。君子、多ならんや。多ならざるなり。
七 牢(ろう)が曰わく、子云(のた)まう、吾れ試(もち)いられず、故に芸ありと。
八 子の曰わく、吾れ知ること有らんや、知ること無きなり。鄙夫(ひふ)あり、来たって我れに問う、空空如(くうくうじょ)たり。我れ其の両端を叩いて竭(つ)くす。
九 子の曰わく、鳳鳥(ほうちょう)至らず、河(か)、図(と)を出ださず。吾れやんぬるかな。
一〇 子、斉衰(しさい)の者と冕衣裳(べんいしょう)の者と瞽者(こしゃ)とを見れば、これを見ては少(わか)しと雖も必ず作(た)ち、これを過ぐれば必ず趨(はし)る。
一一 顔淵、喟然(きぜん)として歎じて曰わく、これを仰げば彌々(いよいよ)高く、これを鑽(き)れば彌々堅し。これを瞻(み)るに前に在れば、忽焉(こつえん)として後(しりえ)に在り。夫子、循々然(じゅんじゅんぜん)として善く人を誘(いざな)う。我れを博(ひろ)むるに文を以てし、我れを約するに礼を以てす。罷(や)まんと欲するも能わず。既に吾が才を竭(つ)くす。立つ所ありて卓爾(たくじ)たるが如し。これに従わんと欲すと雖ども、由(よし)なきのみ。
一二 子の疾(やまい)、病(へい)なり。子路、門人をして臣たらしむ。病、間(かん)なるときに曰わく、久しかな、由(ゆう)の詐(いつわ)りを行うや。臣なくして臣ありと為す。吾れ誰をか欺かん。天を欺かんか。且つ予(わ)れ其の臣の手に死なんよりは、無寧(むしろ)二三子の手に死なんか。且つ予れ縦(たと)い大葬を得ずとも、予れ道路に死なんや。
一三 子貢が曰わく、斯こに美玉あり、*(ひつ=櫃)に*(おさ=収納)めて諸(こ)れを蔵せんか、善賈(ぜんこ)を求めて諸れを沽(う)らんか。子の曰わく、これを沽らんかな、これを沽らんかな。我れは賈(こ)を待つ者なり。
一四 子、九夷に居らんと欲す。或るひとの曰わく、陋(いやし)きことこれ如何せん。子の曰わく、君子これに居らば、何の陋しきことかこれ有らん。
一五 子の曰わく、吾れ衛より魯に反(かえ)り、然る後に楽正しく、雅頌(がしょう)各々其の所を得たり。
一六 子の曰わく、出でては則ち公卿(こうけい)に事(つか)え、入りては則ち父兄に事う。喪の事は敢えて勉めずんばあらず。酒の困(みだ)れを為さず、何か我れに有らんや。
:一七 子、川の上(ほとり)に在りて曰わく、逝く者は斯(か)くの如きか。昼夜を舎(や)めず。
一八 子の曰わく、吾れ未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり。
一九 子の曰わく、譬(たと)えば山を為(つく)るが如し。未だ一簣(き)を成さざるも、止(や)むは吾が止むなり。譬えば地を平らかにするが如し。一簣を覆(ふく)すと雖も、進むは吾が往くなり。
二〇 子の曰わく、これに語(つ)げて惰(おこた)らざる者は、其れ回なるか
。
二一 子、顔淵を謂いて曰わく、惜しいかな。吾れ其の進むを見るも、未だ其の止むを見ざるなり。
二二 子の曰わく、苗にして秀(ひい)でざる者あり。秀でて実らざる者あり。
二三 子の曰わく、後生(こうせい)畏(おそ)るべし。焉(いずく)んぞ来者(らいしゃ)の今に如(し)かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆること無くんば、斯れ亦た畏るるに足らざるのみ。
二四 子の曰わく、法語の言は、能く従うこと無からんや。これを改むるを貴しと為す。巽與(そんよ)の言は、能く説(よろ)こぶこと無からんや。これを繹(たず)ぬるを貴しと為す。説こびて繹ねず、従いて改めずんば、吾れこれを如何ともする末(な)きのみ。
二五 子の曰わく、忠信を主とし、己に如(し)かざる者を友とすること無かれ。過てば則ち改むるに憚(はば)かること勿かれ。
二六 子の曰わく、三軍も帥を奪うべきなり。匹夫も志しを奪うべからざるなり。
二七 子の曰わく、敝(やぶれ)たる**(うんぽう=綿入れの上着)を衣(き)、孤貉(こかく)を衣たる者と立ちて恥じざる者は、其れ由なるか。
二八 *(そこな)わず求めず、何を用(もっ)てか臧(よ)からざらん。子路、終身これを誦(しょう)す。子の曰わく、是の道や、何ぞ以て臧しとするに足らん。
二九 子の曰わく、歳(とし)寒くして、然る後に松栢(しょうはく)の彫(しぼ)むに後(おく)るることを知る。
三〇 子の曰わく、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず。
三一 子の曰わく、与(とも)に学ぶべし、未だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権(はか)るべからず。
三二 唐棣(とうてい)の華(はな)、偏(へん)として其れ反せり。豈に爾(なんじ)を思わざらんや、室是れ遠ければなり。子の曰わく、未だこれを思わざるなり。夫(そ)れ何の遠きことかこれ有らん。
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